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森羅万象

1670 津和野鷲原八幡宮の流鏑馬 2011 (2)


4月10日、流鏑馬神事本番の日。午後の部には間に合いました。午前中はたくさんの人で賑わっていたようですが・・午後からは意外と少なく。本殿横の小さな神楽殿で岩見神楽を見物して・・の間に午後二時になり流鏑馬神事が始まりました



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地元の氏子も鎌倉時代の服装をして・・・馬場を往復。
立烏帽子)、綾藺笠(あやいがさ)を被り、鎧直垂に射小手を着け、行騰・太刀を履き、箙を負い弓矢を持ち・・私の場合、この行列を見ただけで満足度80%になります。



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今年も高級カメラがたくさん来ていました。が、ごいつ三脚をセットし殺気だっての場所取りに終止。馬が走るのを撮るだけ。最初の神事も見るゆとりもくの場所取り。終わりの神事も見もせず、さっさと帰っていきます。おそらくは写真展入賞のげいじゅつ的写真を目ざしているのでしょうが(でもこんな人達が日本のカメラ産業を支えてくれているので功績は)・・・大体に於いて・・・写真と言う物は「自分が撮っているものが何か?」という理解が前提です。篠山紀信は女性の美はどこか?分かっているからプロと呼ばれ・・・野球というゲ-ムは撮るためにはこの選手は外角球ライトに撃つぞ が分かっていないと撮れないの原理であり・・・何よりも、子供連れやお年寄りを押しのけるような振る舞いを見ていると寂しくなり・・・その後は写真を撮る意欲減退 簡単デジカメで簡単に。と いい写真が撮れなかったのを言い訳して・・・・


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カメラは触るくらいにして見物しましたが、意外と盛り上がりにかけた午後の部。どうしたんかなの今年の流鏑馬でありました
気になったので清基君のその日のブログを見ると ↓



桜が満開の中、執行しましたので、本当に雰囲気はよかったです。カメラマンが異常に多く、驚きました。今年の流鏑馬は、全体的によくありませんでした。落馬も多く、的中も悪くまぁ、いつも最高の行事が出来るわけではないので、ある程度は仕方ありません。ただ、どんな内容であれ、奉仕をする者が一生懸命、真剣に行うことが重要だと思います。流鏑馬とは、五穀豊穣を祈願したり、国家安泰を祈願したりする儀式であるため、変わらず執行されます。ゆえに、真剣に行うことが本当に大事なわけです。そこで、私自身どうであったかというと、今回の流鏑馬は悔いの残る内容になってしまいました。中ろうが外れようが、落馬しようが、怪我をしていようが、全体としていい内容でなかろうが、今できる全てをやろうといつも心がけています。そのため、どのような結果であれ、後悔というものはありません。もちろん反省すべきことは多々ありますが。これが、今の実力であると思えるからです。しかしながら、今回は、儀式の途中で完全に集中力が切れてしまいました。外部要因は多々ありますが、そんなものは言い訳にすぎず、結局は自分自身の精神修養が足りていないだけなのです。流鏑馬を執行するには、多くの方々のご助力があるわけです。地元の方々はもちろんのこと、本当に多くの方々が一つの行事をするために苦労して準備をしてくださいます。そんな中、真剣さがなくなり、全身全霊をもって流鏑馬を出来なかったことは、反省ではなく、ただただ申し訳ない気持ちしかありません。それ故に、悔いの残る流鏑馬になってしまいました。

次の流鏑馬は5月3日の下鴨神社の流鏑馬です。さぁ、どうしたものか


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本殿前での神事が終わって10分後には人影もなくなり・・・いつもの静かな鷲原八幡宮になりました。来年も来ます。



# by ab300211 | 2011-04-24 23:02

1669 津和野鷲原八幡宮の流鏑馬 2011


4月の第二日曜日は、津和野の鷲原八幡宮で、天下太平、五穀豊穣を祈願する、流鏑馬が奉納されます。日曜日は用があり、行けないかもしれないので、4月9日土曜日のリハ-サルに。リハ-サリを見学するのは初めてです。八幡宮の流鏑馬は昔は地元の氏子によって行われていましたが途絶え。が、昭和51年より小笠和流の人々によって復活し、それ以降は小笠原流の古式に従って、開催されています。
1時頃鷲原八幡宮に到着しましたが、社務所の横の広場で準備中で未だ馬場に人影無し。が、今年は何と桜が満開です。


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ではいつものように知ったかぶりで、馬場などを紹介してみましょう(いつもの事ですが、森羅万象は間違いが多いのでくあてにならず。確かな事は各自お調べ下さい)。
スタ-ト地点から馬場を眺めてみました。土手の右が走路。走り終わると土手の左側を通って、戻ってきます。


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木の柱とロ-プで出来た柵が埒(らち)。的がある左の埒が(男埒 おらち)、右が女埒(めらち)。音埒と女埒に囲まれた所は「さぐり」。耕されて砂が入れられている「さぐり」を馬が走ります。男埒と女埒の間を馬が走る。なかなか意味深長です。手前のロ-プが外されているのは「さぐり」は使用可という印です=「らちが開いてる」状態で。
馬場の長さは約150間(270m)で、この間に3つの的があり、走りながらの馬上からの騎射を行います。



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3つの的の後には石垣があり、これが安土。安土もあって古式通りの流鏑馬用の馬場はほとんど残っておらず(鷲原八幡宮だけか?)、みんな張り切って参集するそうです。が、問題があります。それは古い馬場は、馬が遅い時代の設計で・・・現在の馬はそれよりずっと速く。速いので時間的にゆとりがなく、また、速度がある馬上から的に当てるのは大変難しく。ちょっとでも間違うと失敗する。の、大変難しい馬場なんだそうです。


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しばらくすると馬場の点検が始まり・・・弓馬術礼法小笠原流31代小笠原清忠氏の長男清基氏です。津和野には小学生の頃から来ているそうです。阪大を卒業し筑波大学大学院で学び、現在製薬会社の研究職の31歳。 あれ?家元の長男だから小笠原流の跡継ぎとして専業かと思うのが普通です。が、800年以上続いた日本を代表する名家小笠原家には家が興った時から「家業を生業としない」という家訓があります。小笠原の弓馬術礼法を教えることで生計を立てることは禁じられています。これは「経済を考えて流儀を教えると、おのずから弟子との妥協が起こって、流儀の品位が卑しきなることを戒めていると同時に、弟子をふやすために自然に無理ができてくる」という考えだそうです。から、清忠氏も清基氏も職業をもち、社会人として働いているわけです。ということで、流鏑馬を習っても礼法を習っても無料。無料なので、「イヤなら辞めて下さい」が言え、そのことで室を保ち、かつそれが厳格に伝えられ、伝統が守られた来たそうです。


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こちらが清忠氏です。いつもニコリともせずこんな顔をしているので・・・高弟の方から「ギャルとも気軽に話してますよ」という話を聞いたので勇気を出して一度だけ話したことがあります。「ご子息は立派になられましたね」「あいつ7年も大学院に行きやがって!」「・・・・」という愉快な方で、流鏑馬に参加した小学生に「今日は疲れなかった?」と声をかける優しい方です。が、大変明快な哲学の持ち主のようです。
「厳格に伝統を普及させることは、大変難しく、ましてや兼業でそれを行うのは、困難を極めます。
 そこで、当代宗家である清忠氏は、次代を担う若い世代が正しい伝統を継承できる環境をつくるために本法人を設立することを決断されました。 本法人は、子どもをはじめ多くの方々に正しい伝統に触れていただく環境をつくることを主な活動としております。  また、現在全国各地で奉納しております儀式を守るために、門人が稽古に専念できる環境作りにも力をいれております。」ということで小笠原流をNPO法人に。小笠原家の歴史が大きく変化したことになります。



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こちらは何度が話したことがある高弟のお一人で、リハ-サルが終わったあと「根ほりはほり作戦」でお話を伺ってみました。なお、東京から、神奈川から、奈良から、福岡から・・・・流鏑馬に参加する門人の方は自前の無料奉仕。体力と瞬発力が必要な流鏑馬。昔は40歳になると引退でしたが、今は50歳を過ぎると引退だそうで、引退したら指導と運営役になっての参加だそうです。

「若様のダイエットは少しだけ成功したようですね」「あれは家元プレッシャ-太りです \(^o^)/」 小笠原流と言えば弓馬術と礼法の家ですが・・弓馬術の方は分かりやすい分野ですが、礼法は奥が深く・・・公式行事、冠婚葬祭、誕生祝、贈答、飲食、包み方、姿勢、言葉遣い・・・暮らしの中の全てにはマナ-・作法があり、そのお手本を示すのが小笠原流。この方は基本の礼儀作法の他、流鏑馬、華道、茶道、和歌、音楽(雅楽)、蹴鞠・・・と8くらいは納めたそうですが・・・家元となるとこれくらいでは問題外・・・人が行う事には全てにマナ-・作法があり、その全てに指導・助言できるだけの知識。技能を身につけなくてはならず、努力とプレッシャ-が大変だろうということのようです。「でも近々結婚されるので、少しは楽になるでしょう」との事でありました。


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最初の二回は馬をゆっくり歩かせて、次の二回は軽くは知らせて、最後は弓を持って駆けて、馬と人のウォ-ミングアップが終わりました。
「今年は人が少ないようだし(20~25名くらい?)、女性も居ませんね~」「今年は記録フィルムを撮るので少数精鋭での流鏑馬です。記録するので練習の的も本物で、みんな張り切っています。」
的は約50四方の板ですが、これがビックリするほど高価なんだそうで。練習の時はダンボ-ル紙の的を撃つのが普通なんだそうです。


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二の的に命中。矢が的にささっています。が、もう次の矢を掴んでいます。でないと三の的には間に合いません。矢を射る時は「陰陽~陰陽~(いんにょう~と聞こえます)」と声をあげますが、その陰陽の掛け声が終わらないうちに、的を通り過ぎ、的はその後、やっと2枚に割れ、落下していきました。というように、馬の速度は相当速く、目の前をあっという間に通り過ぎていきます。


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第三の的へ全力で駆けていきます。胸元から入った風で背中が膨らんでいます。私は正面より、後ろ姿の方が美的だなぁと思っていて、好きです。
的を過ぎたら20mくらい先で馬を停めなくてはいけません。馬も人も慌てるので、ここらで落馬、転倒がおこります。今日の練習でも一度落馬。顔で杭2本を押し倒していきました。


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矢を落としてしまいました。が、型を作って馬を走らせます。両手を放したまま矢を放ち、馬を走らせる。流鏑馬は日本の技と美ですね~。
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走り終わって土手の向こうを帰っていく時が、好きです。・・・乗り手の素顔が見えるような気がして、私は必ずシャッタ-を切ります。


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最後は馬を連ね、ゆっくり歩かせて、3時半前に練習が終わりました。乗り手の背中に安堵感が漂ってくるようで・・・桜は満開で、なかなかよい土曜日でした。


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鷲原八幡宮に到着すると、馬も到着しており、地元の方々も準備を始めておりと、ちょうどいいくらいの時間でした。なんと、今年は桜が満開。素晴らしい天候。雰囲気がとても素晴らしい中での流鏑馬です。午前に少し馬を運動させ、午後に稽古です。ここ津和野の流鏑馬は昔ながらの馬場が残っている場所です。そのため、現代の馬では速度が速すぎ、大変難しいです。つまり、昔の馬の速度に合わせた馬場(馬が走るところ)になっているため、的と的の距離が短いわけです。稽古をしながら、本年も厳しいなぁと思いましたが、ご苦労があって用意いただいた馬ですので、なんとかしなくてはなりません。稽古中に、いろいろありましたが、まぁそれなりに終了。津和野というのは、亀井藩の領地でした。亀井家の末えいの方がいらっしゃいまして、稽古後に温故館を拝見させていただきました。また、流鏑馬に使用する幕も提供してくださいました。携帯で写真を撮ったのですが、操作ミスでデータを消してしまいました。。。。決して、近代技術に疎いわけではありません・・・・



清基氏のブログ・・・勝手に載せてみました。



# by ab300211 | 2011-04-22 21:30

1667 ワサビの醤油漬け

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ワサビの花が咲きました。ワサビは大根の仲間、花もよく似ています。どうやって食べていたのか知りませんが、万葉集の時代には食用・薬用になっていたそうです。ワサビは日本特産で、学名もWasabia。で、何でワサビは辛いのか?
ワサビの辛み成分はアリルイソチオシアネート(など)ですが、これはワサビに含まれてなく、後で作られます。アリルイソチオシアネートの材料になる化学物質はワサビ中にあります。この物質が、ミロシナーゼという酵素によってアリルイソチオシアネートに変えられて、初めて辛くなります。が、普通ではこの反応はおこりません。ワサビを摺ったり、切ったりして、空気に触れると、この反応が始まります=空気中の酸素が必要なんです。


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①葉が出始めた頃~花が景気よく咲く前の、茎がそんなに頑丈でないワサビの葉を茎ごと集めてきます(山口のス-パ-では商品名「葉ワサビ」で一束300円くらいで並んでいます)
②熱湯をさっとくぐらすか浸すか程度、細い茎なら熱湯をかける程度で、ワサビを加熱します(加熱しすぎ厳禁)。
③ワサビが冷めないよう適当な長さに素早くきります。
④温かいうちに大きめの密閉容器に入れて、ワサビがあっちの壁、こっちのフタに当たるよう、カシャカシャと容器を振り回します。

熱をかけてワサビの組織をしな~っと柔らかくし、もっと細胞が壊れるよう振り回し、酵素がよく働くよう温かい温度で、空気を供給しながらアリルイソチオシアネートが作られるのを待つわけです。
ところで、リンゴやバナナの皮を剥くと、茶色になるのは? 果肉に含まれるポリフェノ-ル類が、酵素によって変化し、その結果褐色の物質が作られるせいです。が、ここで問題です。剥いた果物が褐色にならないようにするには、どうしたらいいでしょうか?



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と言ってる間に五分くらい経ちます(暇な人はもっと振り回してかまいませんが五分で問題なし)。容器のフタを開けると・・・ツ-ンと鼻にきたら成功です。空き瓶に入れ、醤油(「めんつゆ」などが便利)を入れ、冷蔵庫に保存


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葉ワサビの醤油漬けの完成です。



# by ab300211 | 2011-04-15 18:24