森羅万象

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1920 東京旅(15:最終回) 新橋鴉森神社

「京都の旅」は終わったけど 「東京の旅」は未だあるんと違う? ・・・・確かに未だ「おしまい」のペ-ジは無いですね。もう去年の古い話題ですが・ ・では東京旅を。

(1)明治神宮
連れ合いは若い頃から東京には何度も来ていますが 「まだ明治神宮には行って無い」 そうなので、行ってみました


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JR原宿駅で降り,降りてすぐの歩道橋の上からの おしゃれな駅の画像です


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こちらが人気の 原宿、表参道 

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で、こちらが明治神宮の入り口です。


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で、こちらが思い出の横断歩道橋です。 この横断歩道橋の方が 神宮の森が「きれいに見えるはず」 歩道橋に上がり、カメラを構えた途端 7,8名の機動隊と私服の警官が すごい勢いで走ってきて 「お前はどこの社の者かっ!」 取り囲まれました。 

怪しい者ではありません。 今から○○社に行くとこです。隊長風の、警官が 「こういう奴がここに来ているんですが 怪しい奴ですか?」 と○○社に電話して、怪しい奴じゃないを確かめてくれました。 それからは別の機動隊が走ってきそうになると 「 こいつは普通人だから大丈夫」と何度かかばって?くれました。 


その頃は写真週刊誌の全盛時代で、神経質になっていたようで、カメラはニコンF2で いかにも報道カメラマン風?だったせいでしょう(顔のせいではありません)。 
実はこの歩道橋近くに 当時の総理大臣の自宅があって 「厳重に警備している」 と、隊長風の警官は優しく説明もしてくれました。


「の思い出の横断歩道があれです」 「やっぱりね~ 誰でも怪しいと思うはず 」


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明治神宮の森は自然の森のように見えますが、人が造った森です。 100年後には神社に相応しい森にしょうと計画。最初は落葉樹などを植え、その後は自然の時間に任せ、100年後にはカシやシイなどの常緑樹が茂る森を造る。 計画は80年で達成し、今はこんな鬱蒼とした照葉樹林になっています。 昔の人は偉かった~ の森です。 なお、関東は武蔵野=クヌギヤコナラの落葉樹林。それは江戸時代の里山林で 自然林ではありません。

などと 江戸をウロウロしている間に 山口に帰る日になりました。


(2) 今日は上野に行ってみよう
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不忍池はハスが茂り過ぎて、水面が狭くなって、前来た時にはいっぱい居た 楽しみにしていた キンクロハジロなどの水鳥の姿は無し。見かけたのはこのカモとバンだけ。 仕方が無いので 近くの旧岩崎邸を初めて見学しました。

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お昼は 池端の「藪」でと楽しみにしていたのに定休日でした。 味音痴ですが、「こんなに美味い蕎麦は食べたことが無い!」 と感激したのは この「藪」と (もう店じまいた)松江の 「松本」です。

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仕方がないので近くの店で海鮮丼を 大~好きなアナゴが堂々と乗っていて 江戸は意外とこんな下品な 丼もの が美味しいですね。 やっぱり働いている人が多いせいでしょうか?
 銀座で落ち合うことにして 食後は各自、自由行動に


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歩いてすぐの、「東京のアジア」のアメ横へ。 ここも下品な「丼もの」の屋台が充実していました。

(3)の後は 新橋の鴉森神社へ


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JR新橋駅の鴉森口改札を出ると 広場があります。 今日は古本市があっていて、テントが並び 広々広場は見えませんが 広場の一角には、ホ-ムからもよく見える C11が居られます。日本の鉄道の発祥地です。 

東京発のニュ-スを見ていると必ず出てくるのがこの広場です。「では市民の方に伺ってみましょう 」 のインタビュ-は必ずここの広場からです。 おそらく 新橋には巨大企業から一人会社までの、あらゆる種類の務め人が働いてい居て、インタビュ-用の人材が揃っているからしょう。


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駅の向こう側 ゆりかもめ側には 巨大産業の高層ビルが立ち並んでいます。 私の従兄弟は一番高いビルで働いている高級サラ-リマン業をしています。そのビルは写ってないかもしれません。

新橋と言えば 『パタゴニア-あるいは風とタンポポの物語り』 『熱風大陸 ダーウィンの海をめざして』 「哀愁の町に霧が降るのだ」 の椎名誠です。昭和軽薄体と呼ばれる文体で本を書きまくり、写真は上手、世界を旅し なかなかすごい奴と感心しています。が、高価なパタゴニア製の服を着ているのがちょっと羨ましい奴です。 「『新橋烏森口青春篇』 椎名誠はこの辺りをウロウロ生きていました。


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そして、これが鴉森神社です。小さな神社がある通りには 小さな飲み屋が並んでいます。
おお もうこんな時間か~


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落ち合い場所の銀座へ行って 木村家でお茶しながら休憩して 有楽町でJRに乗って、浜松町から羽田空港へ

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羽田を定刻に離陸。帰りも新鋭機のB787。行きは国際線仕様、帰りは座席の配置も違う国内線仕様でしたが、快適なフライトで 無事山口に帰宅しました。ということで 東京旅 これで終わります。



アフタ-・ケア
その後2013年1月には宇部空港発の、東京行きのB787が故障で、高松空港に緊急着陸。 ただいまB787はお休み中です。 と電池系に問題ありのようです。 の、ところ京都KDNP社から 「そのUB社に立ち入り検査があり」 京都にある本社前に群がる取材陣 の写真が届きました。さすが素早しDNP社です。

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by ab300211 | 2013-02-27 21:36 |

1919 世界への窓 山口衛星通信所

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県庁所在地の都会度ランキングでは、第二位の佐賀県佐賀市に大差をつけて、全国一の田舎度を独走する山口市です。が、田舎のくせに意外なものが?2つあります。 

その一つ目は 
スペイン生まれのイエズス会の宣教師、F.サビエルが山口にやってきたことです。 F.サビエルはインドのゴアを1549年4月に出発し、鹿児島県の坊津に上陸、1549年8月に鹿児島市に到着しています。九州で布教活動をし、1年後の1550年8月には平戸をたって、博多を経由して、11月に 「 比類無き王が治める 栄華をほこる 」 山口市にやってきました。 山口から京都へ上洛しましたが、京都ではキリスト教布教の勅許が得られず、失意のうちに、京都を去って、山口経由で、1551年3月には平戸に戻っています。


ザビエルは、平戸に置き残していた献上の品々を携え、三度山口に入った。1551年4月下旬、大内義隆に再謁見。それまでの経験から、貴人との会見時には外観が重視されることを知っていたザビエルは、一行を美服で装い、珍しい文物を義隆に献上した。献上品は、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などがあったとされる。

これらの品々に喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認めた。また、当時すでに廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えた(日本最初の常設の教会堂)。ザビエルはこの大道寺で一日に二度の説教を行い、約2カ月間の宣教で獲得した信徒数は約500人にものぼった。



日本滞在が2年をすぎ、サビエルは布教を他の宣教師にまかせ、1951年9月に山口を去って平戸からインドへ向かい、1952年2月にゴアに戻っています。なお、サビエルが山口を去った直後、陶氏の反乱がおこって市街地は炎上 栄華の王国、西の京は消滅しました。


そんな事があったとは 今の山口からはとても想像できません。が、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃  キリスト教・・・ 「ヨ-ロッパへの窓」が開いていたのです。




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そして、意外なものの、二つ目は・・・

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山口市の中心地から車で約5分、田園地帯の仁保に突然現れる パラボラアンテナ群ですっ!


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1969年に開設された KDDIの山口衛星通信所です。  「山口は田舎だなぁ」 と車で走っていると 宇宙的な景観が突然目の前に。 誰でも ギョッ と ビックリするはずです(高速道路からもよく見えます)。

山口衛星通信所こは豪華な資料館もあって 誰でも自由に見学できます。ので、通りかかったついで 「久しく来てないなぁ」 なので、この日はちょっと寄ってみただけです。

受付の守衛さんと話もしました。去年の秋 この風景が NHKの番組 「人生下り坂 さいこう~!」で 取り上げられた直後には (さいこう~の一行様は中には、入らなかったそうです)、見学者が急に増えた時期があったっそうです。が、いつもはほとんど人影なし~っ のこの日は私を入れて、3名でした 。なお、アンケ-ト用紙を出すと 特製ノ-トが貰えます。が、前はペンにシ-ル・・など色々なお土産が貰えていましたけど (-.-;)y-~~~


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直径が34mの一番大きなインテルサット用のアンテナです。
1960年代に商業用の衛星通信が始まりした。最初は地球を周回する衛星経由の通信でしたが、その後高度3万キロ以上の静止衛星、インテルサット、が使われるようになりました。


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日本で最初の衛星通信所は茨木県に。通信衛星を経由して、最初に送られてきたテレビ番組は 1963年11月22日(日本では23日)、高校生の時です。明神ケ森という山を登り、家に帰ってテレビを見たら 「ケネディ大統領の暗殺シ-ン」 アメリカから送られてきた、それが最初の衛星経由の番組だったので インパクトが強く、今でも覚えています。

茨木通信所の続いて、1969年に山口衛星通信所が開設されました。茨木は大平洋上空に浮かぶ静止衛星を使った北米との通信を担当。山口衛星通信所はインド洋上のイインテルサット衛星を使ってヨ-ロッパとの通信を分担。ザビエル時代から約400年を経て、山口がまた「ヨ-ロッパへの窓」 になったのです。

茨木通信所はその後閉鎖され、山口衛星通信所が日本で唯一の、世界でも最大級の衛星通信基地になっています。 の結果 「ヨ-ロッパへの窓」 は 「世界への窓」に昇格しました。


パラボラアンテナは仲が悪く?お互い あさっての方を向いています。が、右向きは西向きでヨ-ロッパ方面、左向きは東で 北米方面のパラボラアンテナです。なお、ほとんどが浅い角度なのは、静止衛星 インテルサット衛星が ほぼ赤道上空に浮かんでいるからです。アンテナは赤道上空を狙っています。日本は赤道から遠いのでこんな角度になります。
インドネシアなど赤道辺りにある国のアンテナは真上を向いています。東南アジアを旅行していてアンテナの角度を見ると 「南に来たなぁ」 です。


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ひと昔前は テレビ番組などを やりとりする インテルサット衛星だけでしたが、現在は船、飛行機、携帯電話用などの インマルサット衛星 が運用され、アンテナは最初の頃に比べると どんどん増えていました。数えたら大小合わせて18個もありました。

NAOと書いてある直径32mの このアンテナは古くなって使用はやめて、もらい手を探していました(アンテ
ナは無料でしたが解体・移設費は自前で)、解体・移設費が半端じゃなく、もらい手は現れず、スクラップになるとこでした・・・が、国が予算を出して、電波望遠鏡として復活して、宇宙の謎を追っています。

子供を連れて遊びに来ていた、最初の頃は 外国人技術者も含め たくさんの人が働いていました。自前のゲスト用のホテルも、あったはずです? アンテナが増えているのに、人影は寂しく減っています。

しかし、通信技術が急速に発展し、PCを使って 外国からも、日本のどこからも、遠隔操作ができるようになり ここ、山口衛星通信所に居なくても運用ができる時代になりました。

「国際通信を担って頑張ってきたのに、通信技術が発達しすぎて、そのセンタ-である、通信所は寂しくなる」
 何かものすごく皮肉な状況ですが・・・・田舎の山口にも すごいものがある でしょ!


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by ab300211 | 2013-02-25 23:08 | 風景

1918 秋吉台の山焼き 2013

秋吉台の山焼きは二月の第三日曜日です。が、去年は天候不順で伸び伸び伸び伸びで、参加できず。代わりに久住の野焼きを参観しました。

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今年も2月17日は天候不順で延期。それから6日後の今日、2月23日に、めでたく山焼きがありました。朝から気持ちよく晴れて、草原には霜も降りず、カラカラに乾いていました。

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8時に集合して持ち場に出動しました。 「higeさん今日は絶好の山焼き日よりじゃね \(^o^)/」  火を点火するとあっという間に燃え広がります。 

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火勢は強く、強すぎるくらいで、焼けこげにならないように、注意しながら火を点けて廻りました。

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「龍の闘い」


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熱い闘いです。が、熱すぎて写真を撮ってる場合ではありませんでした。


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「早く逃げたほうが良いよ!」 画面がセピア調なのは煙のせいです。


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煙の中のツブツブは、炭のように焼けた、ササの葉などです。 そんな燃えかすは、天高く舞い上がり、風に乗って15キロくらい離れた山口市に降り注いだそうです。 「今日の落ち具合は半端じゃないよ。車で走ると、舞い上がっていたよ」 だそうです。


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11時過ぎには任務は完了。今年はパ-フェクトに燃えていました。 緑の草原の秋吉台ですが、実は石灰岩だらけです。 こんな黒い地面に センボンヤリが萌え出て、秋吉台の春が始まります。


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7時からあって観光用の夜の山焼きもお手伝いで参加しました。が、昼間以上に燃えさかって、何もすることがなく、暖かく見物しました。


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by ab300211 | 2013-02-23 23:38 | 風景

1917 河豚とチョコレ-ト

フグ(河豚)をお安く食べる会に誘われて行ってきました。河豚は山口の上関産です。山口県では名が知れた料理人が 上関まで、自ら足を運んで、市場価格でお安く購入。野菜などフグ以外の材料は自分たちで用意(→ 格安になる理由) フグの料理だけをやってもらいます。「山口で一番美味いのは上関の河豚ですっ」 各地からのフグが水揚げされる 「下関の河豚」 は名前がブランドなので 値段が異常に高いんです。

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50cm近くある大皿に盛ったフグ刺しです。普通は5~7人前くらいですが、席に恵まれて、四人で頂きました。 4,5,6,7切れくらいをかき集めて 紅葉おろしのポン酢で頂きます。 あるいは 細ネギを包んだり、 気合いを入れて白子を包んで、 紅葉おろしのポン酢で頂きます。 コリコリ感がある皮も頂きます。
最後にフグ雑炊を頂いて終了~  フグを頂くのは 記憶にないくらい 超久しぶりでした。

さて、帰るかなぁ と表に出ると 今日の世話人だった、Kさんが 何か配っていました。 kさんは人脈がヒマラヤ級で、フットワ-クが半端じゃない 神出鬼没の世話好き人です。おっ アベさんも要りますか?

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宮内庁発売(宮内庁売店)のコイン・チョコレ-トでした。Kさんによると 「宮内庁は お酒など各種商品を売っている」 そうです。 直径3cm お味はミルクチョコ味でした。勿体ないので金は未だ食べていません。


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by ab300211 | 2013-02-21 18:11 | 風景

1916 ヤママユ(山繭)

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二月も半ばをすぎて日差しが暖かくなってきました。柔らかな光の、落ち葉が厚く積もった、そこらの森を歩いて行くと


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ウスタビガの繭が落ちていました。きれいな色.。これで布を織ったら素晴らしいでしょうね。 ウスタビガはヤママユガの仲間、野生のカイコ、天蚕です。

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輝くような色のヤママユ(ヤヤマユガ)の繭も落ちていました。 1本の絹糸を紡いでこんな形の繭を作りますが、ヤママユの糸は6~700mくらいだそうです(品種改良した家カイコ(養蚕用のカイコ)の糸は~1500mくらいあります)。化学繊維の時代ですが、アミノ酸でできた絹は不滅の、魅力的な繊維です。


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by ab300211 | 2013-02-18 17:46 | 動物

1915 分福茶釜-ブンブク

今日は冬にしては穏やか 油谷湾に行ってみました (と、言っても もう1ヶ月前の1月半ばの話題 森羅万象社は更新は気分次第なので 古い話題が多い傾向があります。社長の不徳、真面目さが足りません)

油谷湾は角島と川尻岬の間に湾口がある、波静かな大きな湾です。


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ここに来るのは超久しぶりです。風がほとんどなく ,チャプッチャプの波が打ち寄せる、浜はとてもきれいです。

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大きな工場もなく人口も少ない油谷湾には きれいな砂浜や砂・泥の浜辺があちらこちらにあります。きれいな海に棲む、サクラガイやベニガイも、よく上がっています。


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今日の獲物はこれです。 短い毛のような棘と体つきが、狸が化けた、「分福茶釜」に似ている のでブンブクと呼ばれている、棘皮動物、ウニの仲間です。 ウニはまん丸ですが、ブンブクは楕円形です。で、このブンブクは何ブンブクでしょうか? ヒラタブンブク?  それから次は

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カシパン(菓子パン)の殻が砂に埋まっていました。 カシパンにはタコノマクラ、ヨツアナカシパンなど、いろいろ種類がありますが、これはハスノハカシパン?(蓮の葉菓子パン) でしょうか。

これもウニの仲間。ウニの仲間は、花びらのように 五放射相称体型をしています。 こんな放射相称体型がやがて、ヒトのような左右相称体型に進化しました。

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ブンブクは変形はしていますが、よく見ると、五放射相称型です。こんな変な動物ですが、意外と人気があって、カシパンやブンブクの殻の通販のペ-ジもあります。 一番面白いのは「ブンブク」「カシパン」 のような名前。遊び心がある良い名前です。 

の、浜から車に戻り、車で5分走ると



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「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ・・・・」 の外洋 日本海です。




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by ab300211 | 2013-02-15 22:23 | 動物

1914 太宰府天満宮 「お石茶屋」

太宰府に来たら、梅ケ枝餅です。 米粉の中は小豆の粒あん、こんがり焼いた お焼きです。 私は餅系大好き人間です。 

西鉄太宰府の駅を降りると「梅ケ枝餅」店が並び、境内には「梅ケ枝餅」の茶店が並び・・・・その数 多すぎ どこで食べてよいかサッパリ分からない状態です。
が、梅ケ枝餅なら 「お石茶屋」 です。福岡の「梅ケ枝餅」通の間では名が知れた茶店です。

本殿を裏を通りすぎ、梅林も通り抜けて、だんだん寂しくなって 山がすぐそこの天満宮の、一番奥の 奥に「お石茶屋」はあります。 観光バスでやってきた人は絶対行かない、不便な?場所です。

あまり人が来ない場所 未だ有るかな?と心配しながら歩いていくと


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木造平屋の 「お石茶屋」は 商い中  元気にやっていました。\(^o^)/



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中も外も昔?のままで安心しました。

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席に座って待っていると、次々お客がやってきました。 隣のおばちゃんに 「えらい繁盛してますね」と話しかけると 「ネットに出ているから、みんな知っているんですよ」 ネットの威力恐るべし。
何で有名か? ネットで 「お石茶屋」 と検索すると、数多のペ-ジがありますので、各自、お調べ下さい。


私が学生していた大学の教室は、定員が20名。 けど 「学生は少ない方がいい」 の方針で、入学させる学生は10名前後(3人の?年もあったそうです)。 私の年は戦後最多。でも 先生の方が遙かに多い、同級生はたった13人でした。こんな事が許される、昔の大学は自由な雰囲気が漂っていました。 

同級生のOさんは 「しろしかっ!」 「せからしかっ! 」 「うち いそがしかけん かえるけん あとは あんたがやっとくちゃっ しっとう?」  はい知りません (-.-;)y-~~~  標準語なし 120%博多弁。 当たると所敵なし 臆するとこなしの正々堂々、竹を割ったような性格で、が かなり照れ屋さんで、心根の優しいとこが見え隠れする、 ああ これが九州の女か~ 博多娘か~  
 
名前が AとO なので実験がペアのこともありました。 「あんたが実験ばしっ うちがレポ-ト書くちゃっ」 私が器具をいじくってデ-タを出すと 素早く計算し 。授業が終わった時は既にレポ-トも完成。 「今出したら早すぎ ちゃろかっt」 うん 早すぎ 明日出しておくから・・・・ とりあえず 大学を卒業を目標に、学生生活を謳歌していました。 でも、頭脳明晰で、高校も同級生だったNさんによると 「真面目に?やったら東大に合格」間違いなしだったそうです。

身長は170cm近く、首から下は細からず細からず、下半身は頑丈。当時流行していたワンゲル部に入り、休みになると 30キロの荷物を背負って 山を駆けめぐっていました。

4年生の時は指導の先生は違っていましたが、同じ研究室に入りました。 お昼ご飯は蜂蜜をかけたリンゴ一個。なんで それであんな体重が維持できるか?秘密が分かりました。 10時のおやつ、2時のおやつ、3時、4時のおやつ 暇を作ってはポリポリ食べていました。「お菓子の食べ過ぎと違う?」 「あんた せからしかよっ!」

ある日 太宰府の話題になって 「太宰府に行ったら 梅ケ枝餅はお石茶屋に いきんしゃい バイトしたこともあるよ うちのお婆ちゃんは お石さんと遠い親戚ちゃ けん  うちも遠い遠い親戚になるっちゃ」 

卒業後は接点もなくなりましたが、 風のウワサでは、名門でお金持ちの御曹司に見初められめでたく結婚したとのことでした。卒業20年?記念の同窓会で超久しぶりにあったら、「うちは子供が4人」 幸せな家庭生活を送っていました。やっぱりね~ 同級生は、みんな Oさんは幸せになると思っていました。が、それから数年後 4人の子供を残し Oさんは突然 逝ってしまいました。 人生は不条理です。

後日談があります。 それからまた暫く経って、Oさんと仲良しだった同級生のNさんが 突然私の仕事場に来ました。 「山口のSで午後から仕事 ついでに寄ってみたよ。」 その時初めてOさんが ガンを発病し、たった3ヶ月で、亡くなった事を知りました。 あまりの突然の出来事で みんなに知らせる間もなかったそうです。

でもNさんはいつもと違う・・・・ Oさんの話が終わって  しばらく沈黙して Nさんは突然 「アベ君お葬式用に写真撮ってある? わたし この夏、ガンの手術したんよ 3年たって生きていたら大丈夫なんよ」 入ってきた時 ものすごく痩せていたので 何かあるなと思っていましたが。
NさんはOさんのお葬式に行ったそうです。 突然の死で いい写真が無く、飾られていたOさんの写真が寂しくて 可哀想で 涙が出てそうです

Nさんは健康診断で 「ガンです 明日入院して下さい」  「わたし 一番最初に何したと思う?」 そのまま美容院に行って その日の内にお葬式用の写真を撮ったそうです。 可愛らしい写真を飾ってもらいたかったからネ。 だから アベ君も元気なうちにお葬式用に写真を撮っておき。(未だ撮っていません)

ガンと言うことは家族以外知らない。お婆ちゃんにも 心配するから知らせてない。 でも誰かには知っておいてもらいたいから、同級生のTさんには聞いてもらったけど ついでに近くに住んでるアベ君にも聞いてもらいたかったから・・・ということらしく 

午後からの仕事が終わり、新幹線まで未だ時間があったので 「萩でも行こうか?」 車の中では何を話していいか・・・・ 慰めの言葉も思いつかず・・・・黙って運転しました。

Nさんはその後 再発することなく無事復活しました。今年も大勢の家族に囲まれた写真付きの年賀状が、届きました。



梅ケ枝餅は 福岡市内の店でお土産に買うこともありますが、やはり太宰府で熱々を食べるのが一番です。 4個くらいなら、あっという間に食べます。

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by ab300211 | 2013-02-13 18:10 | 風景

1913 太宰府天満宮のクスノキ(楠)

福岡、佐賀、熊本、鹿児島・・・九州の神社やお城に行くと、大きなクスノキをよく見かけます。鹿児島県の蒲生の楠は日本で一番大きなクスノキです。

九州には「あれ これ楠の天然林かな?」 もよく見かけます。が、天然の楠の森かどうかは定かではないらしく・・・・福岡市の香椎に住んでいました。香椎からすぐの 立花山には天然記念物になっている、大きな楠が群生した森があります。

まだ人口が少なかった縄文時代には、平地にはクスが生い茂っていたようです。人口が増えて、住宅地や田畑になって、それに楠は建築材、船材などになる有用な樹木でもあったので伐採もすすみ、天然のクスノキは次第に減ってきたようです。 古い仏像はクスノキで造られていることもあります。  なお、「トトロの木」はクスノキのようです。

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太宰府天満宮も楠の巨木が目立つ神社です。本殿の近くには楠が茂った小山もあります。


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境内のあちらこちらに、クスノキの巨木が立っています。楠は生長が早い木で、100年で直径が1mくらいに県ちますが、それからはゆっくりと大きくなっていくようです。 これくらいになると樹齢は数百年以上か?


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本殿裏のクスノキ達です。
(日本人観光客に賑わっている 「ゴ-ルド・コ-ストのお隣くらい)の
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その近くにある、一番、迫力があって 神々しいクスノキです。 

楠は枝を高く拡げて、青々と茂るよい木です。オ-ストラリアの亜熱帯区のクイ-ンズランド州の大都会の、ブリスベ-ンの大通りには 楠の並木がありました。


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樹齢7百年のヒロハチシャノキです。神社は巨木が多い場所です。


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by ab300211 | 2013-02-11 22:31 | 風景

1912 太宰府天満宮

3連休のまん中の日曜日、超久しぶりに太宰府天満宮に行ってみました。

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山口・九州地方も朝からよい天気で、3連休の上に、学問・試験の神様もかき入れ時。 県外ナンバ-の車で駐車場もいっぱい。境内もいっぱいの人でした。

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本殿前も長蛇の列で、お賽銭箱になかなか近づけません。3回出直して、やっとお参りができました。


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お昼頃には気温も10度に上がり、暖かい太宰府天満宮でした。境内では「猿回し」も。


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そして、これが 「東風吹かば にほひをこせよ・・・・」 の都から飛んできた 伝説の 「飛梅」です。 境内にはたくさんの梅が植えられていますが、早咲きの紅梅がちらほらくらいで、伝統の一重の白梅、紅梅が見頃になるのは、あと10日?2週間?でした。


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by ab300211 | 2013-02-10 22:37 | 風景

1910 寒アヤメが咲いて・・・

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もういい加減にしたらっ! ツバキ+サザンカ から創りだされた園芸種のタチカンツバキは10月の末からずっと咲き続けています。 寒かろうが暑かろうが、秋の終わりがくると咲き始める さすが垣根の王者です。に、比べて、12月末から1月になると咲くはずの寒アヤメは遅れています。今年はどこの庭も遅れています。

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のところ、立春も過ぎた、昨日、2月5日に最初の花が咲きました。 気がつかないうちに、根本から蕾がスルスルろ伸びて、アッという間に蕾が膨らんで咲く 冬の小さなアヤメです。 

日本では昔から育てられていたようですが その素性が分からず 毎年花が咲くと悩んでいましたが、・・・・地中海が原産地の Iris unguiaris  小型のアヤメです。 



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で こちらが早春に咲く地中海のアヤメです。イタリアはフィレンツェの ルネサンス時代の市役所前からウヒッツィ美術館前を通り、アルノ川に架かるベッキオ橋を渡るとすぐの、ペッティ宮殿の土手の草むらに咲いていました。 寒アヤメより小さくて(~15cmくらい)、紋章にもなって有名な 「フィレンツェの黒いアヤメ」です。 懐かしの画像です。

毎年同じ記事を載せています。が、森羅万象社ではこれを「マンネリ」とは呼ばず、「季節の風物詩」と呼んでいます。


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遅れていた庭のスイセンも勢いよく咲いてきました。 このスイセンも地中海が原産地。 日本の香りではなく、ギリシャの香りですっ!

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鹿児島紅梅は、もうすぐ咲きそうです。 冴え冴えと咲いて、好きな、青軸の白梅は、未だ暫くかかりそうです。
侘び助は密やかに咲いていました。藪椿はもうすぐ咲きそうです。


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道端のタネツケバナ、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウも、勢いがついてきました。  T造園の青軸の白梅はもう咲き始めています。我が家の白梅は、遅咲きが得意です。 

バレンタインも近づいて、鳥の囀りが賑やかになってきました。 夜がくると、玄関横のシナヒイラギに ジョウビタキがこっそり隠れて、寝ているようです。



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by ab300211 | 2013-02-09 16:37