森羅万象

2137 凌雲寺跡の調査

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今日の山口は曇り後、雨。久しぶりに凌雲寺跡に行ってみましたが、到着後、10分で雨が降り出したので、発掘調査を見て、すぐ撤退しました。

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凌雲寺は大内義興を開基として、永正4年(1507年)頃、了庵桂悟が開山。天文9年(1540年)12月20日には義興の十三回忌が凌雲寺で営まれている。廃寺となった時期は不明であるが、大内義長の死による大内氏滅亡後ではないかと推定されている。


吉敷川上流の山間部の南に伸びる舌状台地にその寺院跡が残っている。が、地上にあるのは台地の北端を東西に横切る長い石垣だだけである。大内氏滅亡後から、実地調査が行われてこなかったため、寺院の詳細の一切が不明という「幻の寺」でもあった。石垣は寺の惣門の遺構と伝えられ、長さは約60m、高さ3m、幅2mの大規模な石垣である。また、その構えから通常の寺院としてのみの役割だけではなく、有事の際には城郭としても機能する城郭寺院であったと推定されている。

平成19年(2007年)9月、奈良文化財研究所などが地下探査を行い、平成22年(2010年)から発掘調査が行われる。第一次調査では1,000点以上の遺物が出土し、大内菱の紋が入った軒丸瓦等が出土し、大内義興時代の創建であることが裏付けられた。- ウキペディアより

石垣の一部は大内氏滅亡後、水田などの整備に使われたらしい。、


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by ab300211 | 2015-11-26 18:09