森羅万象

2054 また来たカンボジアの旅(11)最終回 感謝状

前回(2053)、「クメ-ル・ル-ジュ」と書いた後、2008年にカンボジアを旅した時の、通訳のビチェットさんを思い出しました。ビチェットさんは英語はもちろん、日本語の読み書きも日本人以上に確かな日本語の(たぶん英語でも)通訳です。かつてはプノンペン(カンボジアの首都
: プノン=丘 ペンさんの丘)にある日本の新聞社でも働いていた、優秀な通訳です。

車で走っていて、カンボジアの道の真っ赤な土を見た時、思わず「クメ-ル・ル-ジュ」と言ってしまいました。クメ-ル(クマイ-ル)はカンボジア語で カンボジア(カンボジアの)。ル-ジュはフランス語で「赤い」。カンボジア、ベトナム、ラオスのインドシナ三国は、かつてはフランスの植民地。外国人が買い物に行くと 「ムッシュ、マダム」と呼びかけられる事も。

クメル-・ル-ジュは内戦時代のポルポト派の事。内戦時代には少なくとも400万人くらいがポルポト派によって、虐殺されたと言われています。 「カンボジア人は クメ-ル・ル-ジュ と言う言葉を聞くと、あまりよい感じがしないので カンボジアではクメル-・ル-ジュと言わない方が」とビチェットさんが、教えてくれました。
-閑話休題

アンコ-ル・ワット観光は15時30分に終了。若者五人組は、オ-ルド・マ-ケットなどにお土産買いに出動。私達、大人組は、W社長とIさんを誘って、一度行った事がある シェム・リアップでは有名な老舗のホテル 「GRAND HOTEL」へ。


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当時のアンコ-ルは巨大な木々に覆われて薄暗い密林で、観光というよりは探検だったようです。フランス海軍士官にして作家のロティがここにきて28年後の1929に グランド ホテル ドゥ アンコ-ル Grand Hotel D'Angkor が完成しました。しかし、内戦時代にホテルは荒廃。
内戦が終わった90年代に 「カイロより東に これに優るホテルは無い」 と言われたシンガ-ポ-ルのラッフルズ ホテルが このホテルを買い取って修復、Grand Hotel D'Angkorは復活しました


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一度は泊まってみたいの「GRAND HOTEL」 でゆっくりとお茶してみました。時間がきたので、ホテルに戻って。全員集合したので 18時30分にシェム・リアップ空港へ。

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シェム・リアップ空港に入ると、ワットボ-小学校のプン校長先生、パ-ラ-先生夫妻・・・が到着 「もう見送りなんかいいのに~」 「寂しい~ また 来て下さいね」 涙もろいプン校長に笑顔が戻ったところで・・・

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プン校長から、感謝状が(APPRECIATE LETTER) ! 「ありがとう 嬉しいです」 と感激しました。

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パ-ラ-先生からはいつもの「市場コ-ヒ-」を、頂きました。我が家用に2袋買っていたので合計3袋に \(^o^)/

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お世話になりました。感謝状、お土産もありがとう。お別れの 記念の一枚です。

の後は「靴を脱いで下さい」「ベルトを外して下さい」状態で手荷物検査場へ。下痢状態が続き、腹が細くなって、ズボンを押さえながら 無事手荷物検査完了。

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VN0814便は21時10分、シェムリアップを無事離陸、予定通り、ホ-チミン空港へ到着。VN0350便を待って(00:45分)に乗り換えて、一路福岡空港へ。 鹿児島上空、福岡上空。 
「ああ 日本に帰れてよかった~」 「東南アジアの旅に強い」の自信が ガラガラと崩れ去った、「また来たカンボジアの旅」の報告を終わります。



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by ab300211 | 2014-07-02 11:26 |