1982 山口大学の大賀ハス
その正門の左手に、古代ハスで有名な大賀ハスのハス田があります。
ここは農学部の農場の水田でしたが、駐車場になってしまいました。が、「少しは緑を残して、水辺も残して 公園にしたらどう!」 ということで、20mx100mくらいが、が水辺の公園になり、大賀ハスでも植えよう。
大賀ハスは植え広げられて、今では日本のどこでも普通に見られるようになりました。が、最初の1本は、千葉県の検見川にある東大の農場にあった2000年以上前の遺跡から発掘されたハス。大賀一郎が1951年に種子を植えたら、翌年に花が咲いてそうで、「世界最古の花-生命の復活」と話題になりました。
が、その遺跡より1000年以上古い、エジプトのツタンカ-メンの墓から出た、えんどう豆=ファラオ豆があるので世界最古じゃないかもしれません。ファラオ豆で豆ご飯を炊くと、単なる豆ご飯ですが、ご飯が少し冷えてくると、豆が赤くなる、不思議豆です。
2009年の冬に大学の「大賀ハス・プロジェクト」チ-ムが発足。2009年3月に市内の源久寺から大賀ハスを貰って植えました。プロジェクトチ-ムで蓮根を掘りにいって、ゴボウの太さの割と細目の蓮根を50本くらいを貰って、植えたら、夏には花が咲きました。その後、底土を耕すなど、池を整備し直して、植え替えをすると、あっという間の 3年後の2012年の夏には、水辺はハスに覆つくされて、ハス田に変身しました。ハスの生命力、おそるべしっ!です。 このままにしておくと、たぶん、蓮根が細くなってきます。そろそろ蓮根を掘って、隙間を空けて植え替えないと、花が咲かなくなるかもしれません。余った蓮根は貰えるでしょうか (-_-)゜zzz・・・
ハスの花はロマンス・モ-ドで撮るのが流行していますが、それは拒否して普通モ-ドで撮ってみました。
ハスが一杯咲いていると、微かに良い香りが漂ってきます。 自然ではありがちですが、ピンクから白に変身した花も現れていました。
花のまん中に種子(実)ができます。種子が集まったのが 蜂の巣状で ハチス →ハス となったそうです。このくらいが食べ頃です。
ハスの本場の東南アジアでは、この実を食べるのが普通です。ハスの実売りの おばちゃんをよく見かけました。カンボジアに5回、行きましたが、蓮根を市場で見たのは一回きり、蓮根を食べたのは首都のプノンペンのおしゃれな旅行者用?のレストランで一回だけ(ゴボウの太さで、野菜炒めに入っていました)。 掘るのが大変な蓮根。わざわざ掘って食べなくても食べる物がいっぱいあるので、蓮根はしないのでしょう。 しかし、睡蓮の茎(=ヒツジグサの花の茎)は市場には必ず並んでいて、よく食べています。、
野生状態でいくらでもあるハスの使い道は花です。 仏様にあげるために町のどこでもハスの花が売られています。ハスの花のマ-クがついた袋に入ったお茶も市場に並んでいます。安くて美味しい味がします。
ほんのり甘い栗の味がするハスの実を食べていると、ハスを眺めていた美人系が通りかかり。「食べる?」 変な顔をしながら食べました。 「今日も暑いね」と話していると、言葉が少し変? 「外国人? 中国から?」 「はいウイグルから来て、日本は2年目です」 ウイグルと言えば ウルムチ、トルファン、砂漠、その向こうはもう中東の、シルクロ-ドの中核です。
「干しぶどうが美味しいよね(一度 友人の上田さんからお土産に貰いました)。 けど、金髪で碧眼じゃないね(笑い)」 「華人です(大笑い) 6歳の時、父の仕事の都合で、華南からウイグルに移り住みました 葡萄やメロンはほんとに美味しいですよ」 「華南では麺、餅などにして蓮根もよく食べます。」 「実は干してから食べるんですよ」 なるほど変な顔をしたはずです。
大賀ハスは東南アジアか中国の華南から 日本に渡ってきたかもしれません。 「わたしは子供の頃から、モスリム(イスラム教徒)の友達と仲良く暮らしてきました。華人とモスリムの衝突のたびに、心が痛みます」。 国際的な大賀ハスの前で、国際交流的会話もできた、山口大学のハス田でした。