森羅万象

1952 京都の春旅(5)吉野

吉野と言えば桜、吉野は桜の代名詞。西行法師、後醍醐天皇、源義経、静御前 松尾芭蕉・・・歴史ロマンの町吉野。

「上千本は桜が未だ咲いています」のニュ-スを聞いたので、4月12日、吉野に行ってみました。4月12日と言えば もう一ケ月前。森羅万象社の記事は遅れがち、記事も細切れで長く。 「いつも旅行していますね」 と誤解されているようですが、それは間違い。 記事を作るのが遅すぎ、長すぎのためです。

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4月から幼稚園児になった翔ちゃんを朝 見送ってから、近鉄京都駅へ。 京都駅で電車に乗って、大和西大寺で乗り換え。畝傍山を眺めながら、橿原神宮前で(↑)乗り換え、途中下車して観光したい、岡寺駅、飛鳥駅を通過して 吉野駅まで約2時間半。

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もうすぐ吉野駅の辺りで、右手に下市の町が見えました。 吉野は、上質の酒樽や建築材して有名な、吉野杉の産地です。下市は その木材を製材、加工する、林業で栄えた町。そして、割り箸の発祥の地です。
「割箸は昔からあった」と思っている人が居たら、それは間違いですっ!

山村は田畑にする土地は無く、現金収入の機会も少なく、農村より貧しい暮しが普通。 山村の暮らしを少しでも豊かにする方法は無いか?木を製材していくと、端材(=背板)が出てきます。薪にするくらいしか あまり使い道が無い、製材の余りのような 木材の切れっ端のような?部分。

薪にするのは勿体ない。これを利用し、山村の暮らしを少しでも豊かにできないか?
明治10年、下市の寺子屋の先生をしていた、島本忠雄がこの背板を利用して、2種類の割り箸 「丁六」、と「小判」 を発明しました。 

「丁六」 は長さが丁度六寸で、四隅はそのままの、一番シンプルで安い割り箸です。
「小判」は四隅を丸く削って(=面取)、7寸以上ある割り箸です。四つの角が削ってあるので、上から見ると 小判型。 その後「元禄」も発明されました。「元禄」は箸を割っても、手にささくれが立たないようまん中にも溝を切ってあって、上から見ると8の字で(極端な表現ですが)、それが元禄模様に似ているので「元禄」。今、一番よく使われている割り箸です。

割り箸の存在は次第に世間にしられ、明治20年頃になると、東京でも、かなり使われだしたそうです。
明治40年には下市の小間治三郎が「利休」を発明。その後、一番高級な割り端「天削」も登場。
割り箸製造は 勿体ない精神+山村の暮らしを豊かにする、エコな発明品です。*ただし、天削は余り材でなく、それ専用の木材から作られます。

吉野下市のウワサが広まって、日本各地の林業地帯で、割り箸産業が興っていきました。産業と言っても、家内工業的な設備や広さで作ることができます。 粘着質な性格なので 探索して、島根県にあった、割り箸工場(こうば)を?押しかけ見学しました。 中国地方は赤松の産地で、日本で一つだけ残った赤松の割り箸を作る工場でした。 色白ではない赤松の割り箸は時間が経つと変色し、それにパキと綺麗に割れないので あまり人気がありませんが、なぜか、「粘りがあって ウドンを食べるのに最適」と大阪では人気があったそうです。

1984年。よく勘違で、正義の味方的な記事を作る朝日新聞が 割り箸は森林資源の無駄遣いだ!の「割り箸レポ-ト」を連載。 1987年には、単純思考の「世界の自然環境を保全する団体」 WWF が「日本の割り箸は、熱帯雨林の破壊の元凶である」。 ← インドネシア産の松も使用していますが、元凶???? 針を丸太というようなものです。

WWFは楽しい団体です。「マグロの捕獲を禁止しろ」 と言ったこともありますが、「え マグロを食ってるのは日本人だけじゃない! マグロが獲れなくなったら ツナサンドが食べられない」 と足元から苦情が出て、ト-ンダ-ン (-.-;)y-~~~

割り箸が悪いなら・・・紙コップ、紙皿もと悪いのと違う。 紙コップも紙皿もやめたらどうなんよ。
紙コップも紙皿も使えなかった・・・・コ-ヒ-の自動販売機は X。 パ-ティも宴会も、開けなくなるし・・・ファ-ストフ-ド店も営業できんよ。 君達の国でもやめたらどう

しかし、日本人の中には外国人から 「だよ」 と言われるとすぐ信じてしまう人がいて 「割り箸は使いません。マイ箸を持って外出します」の人がと横行しました。 私は呆れました。呆れたついでに2年くらい真面目に割り箸を探索したことがあります。ちなみに、日本が消費する木材のうち 割り箸になるのは0.4%以下、紙になるのは37%でした

布のおむつで子育てした世代としては 「使い棄て」にはやや抵抗があります。が、便利な そんな商品が増えていくのは仕方がないかもしれません。*割り箸を使う理由も、書くことができますが長くなるので・・・

割り箸には憂慮する部分もありました。20数年前の状態ですが。日本で使っている割り箸の中で、日本産の木材を使って、日本で作っている made in Japan の割り箸は、約3割、7割が輸入品でした。理由は簡単。日本の木材は高く、箸の製造コストもが高い(結果的に割り箸の値段は輸入品の2~4倍)。 日本には木材が無い訳ではなく 放置されています。 勿体ない。
日本の森林を活用しないで、その分を外国から輸入して、木材大消費国になっています。エコだ自然だの日本ですが、経済優先では 外国人も日本を信用しません。


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などと回想にふけっている間に、吉野駅。名物の 「柿の葉寿司」で軽く昼ご飯。 3回待って、ロ-プウェイで、山上に到着です。しかし、この人出はどうなん、 

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柿の葉寿司、吉野葛、お土産屋を左右に見ながら 黒門を通って、進んでいくと、吉野の中核、金峰山寺の仁王門。 この階段を上がるのは遠慮して、お楽な平らな道を、左へと進みます

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上、中千本が見えてきました。 が、やっぱりちょっと遅かったか~  白は桜の花、赤っぽいのは花が散って葉桜になった山桜です。

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吉野は 回りが急傾斜の崖?坂になっている、台上に狭く拡がっている町です。

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これが金峰山寺の本堂、蔵王堂。4月10日~12日は、ご本尊の蔵王権現に「桜が咲きました」を報告する大祭ということで、お参りの人+桜見物で で賑わっていました。 護摩壇で護摩が焚かれておりました。このお寺は役小角が7世紀に開いた 修験道の総本山。ということで吉野は、修験のお寺を中心にして発展した門前町です。

なお、餅播きもあり、連れ会いは1個拾いましたが、私はよそ見していたのでゼロ。 蔵王堂の横で、一休みしていると、長野高遠から団体バスでやってきた親切な、おばちゃんが、分けてくれました。なお、吉野通は?登山靴にザックの 山歩きスタイルで、下、中、上、奥千本を歩きで征服。偉い!!

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人混みを縫って、さらに奥へと進みます。 老舗風の旅館の一角に、これが貼ってありました。俳句の長谷川櫂君も こここに来たか・・・

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広間からの眺めが良さそうな、木造4階建ての 「櫻花壇」。天皇のお宿だそうですが、文人の宿で有名で、谷崎潤一郎先生、吉川英治先生もお泊まりになったそうで。こんなお宿に泊まると、森羅万象もスラスラと文章が書けるでしょうか (-.-;)y-~~~

実は吉野に来るのは二度目。 20年以上前の10月初め? 京都に仕事で来た時、吉野経由で帰国したことがあります。ロ-プウェイを降りると 「バスが出るよ~ 次は2時間後だよ~」 の親切なバス会社のおじさんの声に 「そうかバスで行くのか!」 と 飛び乗ると山上の金峰神社に連れていかれました。 吉野は深山と思っていたのに、山口の山の方が山だぞ。 で、帰りのバスは?と聞くと 2時間後  それは聞いてなかったけど (-.-;)y-~~~ 背広に旅行鞄、革靴でテクテクトと6.5キロの山道を吉野駅まで降りました。 途中の水分神社で、山歩き姿の、私の父親くらいの物知りの方と出会い、あれこれ語りながら一緒に降りました。

ということで、本日 初めて吉野の町を見たのでした (-.-;)y-~~~ つづく


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by ab300211 | 2013-05-09 11:55 |