森羅万象

1940 横河原と道後温泉

まだ、帰りのフェリ-まで、時間があったので、「懐かしい、石鎚山」を見てみよう」 石手寺を出て、松山の隣の横河原に行ってみました。

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重信川に架かる新横河原橋です。

後の平らな山は 頂上付近が湿原で、ブナ林もあり、動植物も多い、松山では人気の皿ケ峰(1278m)です。中学の頃からよく登っていました。 

小学校4年生から、チョウ採集で、山にも登ってましたが、小学生の時は1000m以下。中学生になって、もっと高い山に行くようになりました。 今思えば危ない事もありました。 渓谷の上の古びた木の橋の渡り板が折れて、5m近く下の河原に転落しました。幸運にも岩の隙間の砂地だったので・・・家に帰って、親には黙っていました。

皿ケ峰はいつも一人で登っていた。と、思っていたら。去年中学の同窓会があって 「あべ君が案内してくれて皿ケ峰や高縄山にも一緒に登ったね」 と、K君はじめ、何人かにそう言われました。 いっぱしの山男だったようです・・・・

友達と皿ケ峰に登る時は、久万行きのバスに乗って、国道33号線を走って、三坂峠を越えて、六部堂で下車。その登山口からは、標高差も少ない平らな道で、皿ケ峰は楽勝でした。 こちらがメインの登山道でした。が、一人の時は、こちら側の 長い登りが続く上林ル-トで、登っていました。が、現在は頂上直下まで自動車道が整備され、あっという間に皿ケ峰だそうです (-_-)゜zzz・・・

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重信川の河原は公園のように変身。桜がきれいに咲いていました。対岸の鮮やかな桜を、よく見たら、ケヤキにものすごい数のヤドリ木が付いていました。 さ~て 石鎚山は見えるかな?

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左奥の方に石鎚山群が見えるはずでしたが、雲に覆われ、霞んでいました。 石鎚山に初めて登ったのは中学1年生の時でした。 中学になって山登りも趣味になってきました。

当時は第一次登山ブ-ム。キャラバンシュ-ズとナップザックが発明された(発売?された)頃でした。 日曜日には、キャラバンシュ-ズを履いて、ナップザックを背負って、カメラと網を持って、本を読んで調べ、知らない山も駆けるように?登っていました。

一番好きだったのは、明神ケ森(1216m)です。小学校の時は、チョウが多い福見山 (1053m)に通っていました。 福見山から先へ行ってませんでした。が、ある日、頂上から北の方を見ると・・・痩せ尾根道があってその先に明神ケ森(1216)が。  ほとんど人が来ない山でしたが、その尾根道からの石鎚山系の展望が素晴らしく・・・よく通った山です。 

明神ケ森の山頂にはシャクナゲの群落があり、尾根道にはシコクカッコウソウがいっぱい咲いていたのですが、当時はそんな物に全く興味が無く、・・・尾根道から石鎚山を眺めながら、「大人になったら、登山家になってカメラマンになるぞ」 でした (-_-)゜zzz・・・)

明神ケ森から降りて、重信川ぞいにこの河原までやってきて、ここからの風景を眺めながら、休憩していました。

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霞んでいましたが、何とく見えました。雲の上にある 中央の山が堂ケ森(1689m)のはず、左手の壁のようなのが石鎚山(1982m) のはずです。 冬になると雪を被ってキラキラと輝く四国で一番高い山々です。

弟は中学の頃は登山や自然にあまり興味が無かったようですが、高校生になった頃から、本気で登山を始めたようです。同じ高校を卒業しました。私は陸上部、弟はラグビ-部。私もお手伝いで、1シ-ズンだけ、ラグビ-をしましたが決勝で負けて花園に行けませんした。が、弟は花園に行きました。

休みに帰って話していたら。土曜日のクラブの練習が終わると 夕方のバスに乗って、夜の山道を堂ケ森まで、下駄で登って(下駄好き人です) 避難小屋泊まりを毎週のようにしていたそうです。 「将来は登山家になる」ために、冬も半袖、窓を開けて寝て、寒さに強くなるように鍛えていたそうです。軟弱な兄とは大違いですっ! 

その成果もあって、ヒマラヤ、南極、北極にも行った、探検家 兼 カメラマン・ジャ-ナリストになりました。偉いっ! 私は性格的に登山家に向いてないので、登山家にならなくて良かったです。

じゃ、一度、一緒に登ろうか! 高校生だった弟のガイドで 堂ケ森へ登って避難難小屋泊まり。「夜はネズミが出てくるよ」 確かに夜中は床の上をネズミが走り、顔を覗きこまれました。

夜明前に起床。テントを張っていたどこかの大学の山岳部の 「あんまり装備をしてないようですが大丈夫ですか?・・・お気を付けて」 の声に送られて、夜明けの堂ケ森を出発。シコクシラベやモミが美しく茂った尾根道を、ニノ森(1929m)、西ノ冠岳(1896m)を経て、石鎚山 (1982m)へ。石鎚山でちょっと休憩して、飛ぶように堂ヶ森に帰ったら、山岳部は未だ朝ご飯を食べていました。あのこ頃の元気は何処へ行ったのでしょうか?

何となく石鎚も見えたので未だ時間があるから道後へ寄ってみよう。


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道後の電車の駅を降り、L字型の短い温泉街を行くと、本湯(温泉本館)の正面に出ます (現在、温泉は椿湯と本湯。子供の頃は新湯と牛馬用の温泉もありました)
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本湯は木造三階建です。



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反対側から。屋根の上に小さな櫓があります。 櫓の太鼓のドンの合図で(朝6時?)本湯が開館です。私は、月に1回くらい、適当な時間に行っていました。

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屋根の端っこには白鷺の像。道後温泉は「傷ついた白鷺が湯浴みをしていた」 のが始まりの温泉です。サギ、サル、キツネが、温泉発見の殊勲者が普通です。

道後温泉は湯量も少なく、別府のように湯煙の温泉でないのが残念です。斉明皇后、額田王、聖徳太子など天皇家の人達もやってきた古い、庶民の温泉です。

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本湯には「神の湯」 「霊の湯」 「又新殿」 の三つの浴室(浴場)があります。が、「又新殿」 は皇室専用で入れません。お金を払うと、二階三階の広間にあがれます。そこで、着替えて、「神の湯」か 「霊の湯」に入ります。浴衣も貸してくれて、お茶とお菓子も出ます。

が、普通は一階の浴室に直行です。 御影石でできた深目の浴槽、床、の浴室は趣があります。 湯口の上に、「ここでおよがれん」?の注意書きがしてあります(今もあるでしょうか?)。が、子供は泳ぐのが普通です。我が母校の英語語教師をしていた夏目漱石も泳いだようです。 夏目漱石の 「坊っちゃん」 には 漱石が泳いだことが目撃されて 「泳いだらいかんぞ なもし」? 坊ちゃんは団子も食べたようで 「三皿は多いぞ、なもし」 

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滅多に食べたことは無い「坊ちゃん団子」 と よく食べていた「タルト」をお土産に買って帰りました。「タルト」は絶対 「六時屋」 のタルトですっ!


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by ab300211 | 2013-04-05 23:28 | 風景